貧乏人ブログと金持ちブログを見ていて、それぞれの思考の違いについて思うことです。
反省する貧乏人
貧乏人は「失敗→反省→失敗→・・・」の繰り返しです。
- [失敗] 浪費してしまった、自己嫌悪 (;ω;)
またキャッシングしてしまった (;ω;)
↓ - [反省] 次からはしない (`・ω・´)
↓ - 以下同文
ポイントは、反省というステップを踏むことで「おし、反省したぜ!」という達成感が満たされているところにあると思います。
そして「反省の達成感をもって失敗をないことにしている」のではないでしょうか。
「反省すること」自体に意義を見いだしてしまっており、反省した時点で終わりになっています。
一種の儀式のようなものです。
そして反省を美徳だと妄信しているフシもあります。
日本の反省文化
日本人の習慣ともいえる「反省会」。小学校の頃から、1日の終わりや、イベントの後には何かを反省させられていたからか、私たちはことあるごとに反省します。
なぜ反省することでここまで心満たされるのかというと、幼い頃からの教育に由来するものだと考えます。
小中学校で「反省会」というのを頻繁にやらされた記憶はないでしょうか。
1 日の終わりに無理やり反省させられ、そして反省の行為自体に満足し、1 日を終える。
そして反省を忘れ、翌日を迎える。
こんなサイクルを幼い頃からの繰り返してきました。
そして反省会は決まって 1 日の最後に行われるのも、「反省して終わり」という誤った習慣を身につける要因の 1 つになっているのだと思います。
反省会と PDCA
物事の実施プランとして「PDCA」がありますが、
反省会文化で育った場合、
P (Plan) → D (Do) → C (Check) → A (Action) → P → D → C → A →・・・
ではなく、
- 「P → D → C (反省会)」
↓ - 「P → D → C」
↓ - 「P → D → C」
と「PDC セットの繰り返し」になってしまいます。
Check (反省会) をしただけで満足してしまい、次の Action や Plan に活かさないという育ち方をしてきたのです。
そのため「反省が美徳であり、美徳をこなしたので失敗が許される (誤魔化せる) 」という問題解決思考にまで繋がってくるのだと思います。
つまり我々は「反省すれば失敗は許される (忘れてもいい)」という慣習・教育を受けてきたといっても過言ではないと思います。
反省会文化が誤りだと指摘されないまま、大人になってから PDCA 思考に切り替えろと言われてもとんだ無茶振りでしょう。
ビジネス書 「義務教育で教わったことはウソなんで、大人になったら気持ち切り替えてね!!」
反省しないお金持ち
ここまで貧乏から抜け出せない人の話だったのですが、
対して貧乏ではない人 (貯蓄が習慣化できている、長期で投資で収益をあげている など) がどうかというと、ほとんど反省していないように見えます。
失敗を織り込んでいるという表現が適切でしょうか。
反省しない代わりに「失敗を受け入れ、次の計画を修正し、そして実行する」という至極当然の PDCA サイクルを淡々と回しています。
反省という言葉だけで済ます儀式で終わらせるのではなく、その失敗を活かす仕組みづくりが完成されているのです。
自分が考えるお金持ちの代表例は、既にセミリタイアされてる方や、それに向けての資産形成の手法が確立されている方になりますが、
彼らは反省の慣習に毒されずに早い段階からそこから抜けていった人なのでしょうし、そんな点ではやはり普通とはどこか違う方々なのだと納得する部分もあります。
今思うと、ボク自身も FX と株で借金するという失敗をしつつ、失敗するたびに反省はするものの「これも勉強のうちだな」と自分の反省に酔い誤魔化していたと思うフシは多々あります。
ですが、セミリタイアという人生における次の目標ができ、お金持ちを目指さなければならなくなった以上、反省をしない生き方にシフトする必要あります。
「借金を抱えたのは日本の教育のせい (`・ω・´)キリッ」
なんて短絡的なことは考えていませんが、早くお金持ちの思考回路に近づきたいなと、虎視眈々な自分でした。
いまの借金が減額するかも?
「借金が全然減らない・・・」
「毎月の支払いが厳しい・・・」
こんな人はまずは無料メール相談してみましょう。
借入総額・借入件数・相談事項などを記入して送信するだけ!
あなたに最適な借金解決方法を提示いただけますよ ( ・ㅂ・)و ̑̑